人生セルフ人体実験

何をするにしても自分で試すのが一番

図々しく生きるということ

恥の多い人生を送ってきました私です。
が、もっと恥をかいていこう。
というか恥を恥と思わないくらい図々しくなればいいんじゃないだろうか。
そんなノリの記事です。

先日、またまた私は仕事で問題に遭遇し、いつもの思考の迷走が始まってしまいました。
そこで、思い切って社長に貴重な時間を取ってもらい、色々と相談してみたのです。
そこで得られた知見を、自分なりにまとめてみました。

私は基本的に、ゴールまで本来なら一本道のところを右往左往して遠回りしてしまう傾向があります。
それは収集した情報をうまく再構築して体系化できなかったり、
他人の顔色を窺ってばかりで、行動に支障をきたしたり、
極度に失敗を恐れて、それを非常に恥ずかしいことだと思ったり。
他にも色々あります。

加えて、私は大変に色々なことへのこだわりが強いタイプなんですが、
そのあたりって、前述の問題と同じ延長線上にあるんだと思うんです。
なんていうか、まさに『山月記』の「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」という言葉がピッタリきますね。

結果を話すと、自分自身をゼロベースで再構築することを薦められました。
とはいえ簡単なことではないでしょう。
人格は変えられないし、そもそも簡単に変えられたら世の中恐ろしいことになっていますし、
長年の習慣で染みついた癖も厄介そうです。

ひとまず、ここ数年の自身の行動傾向を分析してみると、
前職を辞めて東京に出てきて、スタートアップに就職するまではなかなかいい感じに積極性を前面に出した生活が出来ていたんじゃないでしょうか。
しかし、鬱病が再発してからは完全に以前の思考パターンに逆戻りしています。
病気だからある程度仕方ないとはいえ、これは酷い。

そこで、頂戴したアドバイスから、まずは
・出来る限りの妥協をあえてすること
・ちょっと図々しいんじゃないかと思うレベルで行動してみること
このあたりをうまくやってみようと。
そのくらいが生きるのにはちょうどいいのではないかなと。

あとは本題とは少々ずれますが、
コストをかけるべきところ、削るべきところをちゃんと明確にした上で取捨選択するのも大事だと。
お金の運用が下手な人は、時間の運用も労力の運用もうまくできないよね、ということなんでしょう。

ゼロベースでの再構築なんて、ある日ある時をもって突然できるものではないと、少なくとも思考が不器用な私にとってはそうだと考えます。
なので、助言者の解釈とはずれてしまうかもしれませんが、
一度あらゆるものを受け入れられる真っさらな状態を作り、
そこに今までの自分の経験と、外から得られた知見を組み合わせて再構築していく、というプロセスを試してみることにします。
旅の恥はかき捨てとは言いますが、人生が旅のようなものだとすれば、恥はいくらかいても問題ない、ということになりますし(?)。

そんなわけで、新年一回目のブログ更新が病み記事という、まあアレな感じになってしまったんですが、
ちょっと図々しいくらいの人間になれるように精進します。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。