人生セルフ人体実験

何をするにしても自分で試すのが一番

平成の終わりに

ふと思い立ったので書き殴ってみる。

私は昭和生まれで、とはいっても昭和を生きたのはほんの一瞬に過ぎず、もちろんそんな記憶なんて一切ない。
同学年には昭和生まれと平成生まれが混在していたから、それはそれで他の学年には無い特別な感じも少しは持っていたと思う。
「昭和世代」という意識はほぼしたことがないし(「昭和生まれ」をネタとして使うことはあったが)、実際平成の文化に育まれてきたわけで、今までの人生は平成時代が全てと言ってしまって問題なかろう。

正直、私の平成の30年間はうだつの上がらない人生だったなぁと思う。
小さい頃はなんだか周りに流されるままに生きていたし、
中高生くらいの時は、精神的な未熟さが身を滅ぼしていて、
大学でも将来像を描けずに惰性で受動的な毎日を続けていたし、 大学を出た後も、色々と迷走を続けた挙句、メンタルがおかしくなるに至った。

平成も残り1年を切ったときに、今までで最大の決断をした。
今まで30年間実家を離れたことのなかった、しかも上記のような問題まみれの人間が、単身東京に出るという暴挙に出てしまった。
もちろん無計画に行ったわけではないのだけれど、正直今までの自分からは考えられないし、なんで今東京で暮らしてるのかは私が一番不思議に思っている。
やりたいことというか、やらなければならないであろうことをやるというのに、東京が都合が良かったという話ではあるが。
それで、一応今は幸い住む場所も職もあり、生活には苦労しているがなんとか生きている。
この半年くらいを準備期間を考えたら、平成の最後に自分の平成にさようならをすることに結果的になっているようだ。

そんな平成があと30分足らずで終わるとなったとき、ふと頭をよぎった。
最終的に我々は、昭和にも平成にも帰属しきれない宙ぶらりんな世代になるのでは? という考えが。
でもまあ、考えてみれば平成の時代を作り上げたのは、大半が昭和生まれの人間なのだ(少なくとも平成後期より前は)。
昭和が日本史上最長の元号だったというのもあるが、平成はその半分にも満たないので、令和になっても昭和世代はしぶとく残り続けるだろう。
そんな昭和と平成の橋渡し的なポジションってのも、なかなか面白い。

未来の私がどうなるか、そんなことはわからない。
実際いくつも爆弾を抱えている状態でも、いまこの選択をしたのか正しいかなんて、その時になってみなきゃわからない。
ただ、ダメダメな私の平成時代だったけれど、後悔はそんなにしていないなと、今になって思う。
そんな30年と4か月でも、今の自分を形成した時間であることに変わりはないのでね…。

平成が終わるといっても、ずーっと続いてきた歴史の一時代として改めて組み込まれるだけなので、あまり平成に対して思い残すこともないのだけど、せっかくなのでこれを次の時代に一緒に連れて行こう。
じゃあ、そろそろ平成ともお別れだ。
令和元年でもよろしくお願いしますね。

平成31年4月30日

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